マレーシア植林紀行
〜フタバガキを植える人達へのエール〜

14.植林地の森林生態系

JICA(日本国際協力事業団)のI森林官は最終日に次のような挨拶をした。「この森は最初は原生の熱帯林でした。それを伐り開きゴムのプランテーションを作り、それも15年程経って液が出なくなると、同じ場所でゴムの植え替え更新を図るのでなくて、また別の原生林を伐り開くのです。そんなことですっかり禿山となった所に、荒廃地でも早く育つ移入種アカシアマンギョウムを植林しました。この森で何年か前に山火事が発生しました。私は日本から派遣されて、先ず山火事災害の意識を高める教育を始めました。それから将来の森作りの計画案を作れと言われて、このように昔の原生林の再生に取り組んでいます。山火事の発生した後にもアカシアマンギョウムの二次林ができています。でも今の森はまだまだ若い森なのです」ざっとこのような内容だったと記憶している。このことは3日間の植林体験で何となく理解できた。(左写真:山火事の跡)

私の印象を言えば、(今まで歩き回った日本の山と比較しての話しだが)山が貧しいのだ。カラカラと乾いて、し〜んと静かでもある。鳥の鳴き声が時折聞こえ、セミがいくらか存在を主張はしているが、映画で見るようなジャングル特有の生命の躍動を感じさせるものは、何も無い。熱帯の森なのに、ム〜ンと匂い立つような熟女の蒸れがさっぱりないのである。余程日本の夏山のほうが騒がしい。森を歩き回って大汗をかけば、藪蚊やアブがブンブン寄って来るし、ちょっと立ち止まれば様々な虫や鳥達のわき立つような響が伝わって来る。キンチョールの携帯用蚊取り線香をわざわざ日本から持って来たのに、ここでは全く役立たずだった。自分が煙いだけだった。

この森に比べたら、日本の山がいかに豊かで生物多様性に満ち満ちているかが分かる。森林生態学の只木良也先生の本を読んだことがある。「日本のことわざで、物事を放り出すことを<後は野となれ山となれ>というが、この山とは森と同義である。即ち日本では放っておいても自然に森になるのです。それだけ自然が豊かな国なのです。この素晴らしさと大切さを我々はしっかり認識しなければいけません」「ウ〜ン!」しかし日本の森林は、林業の不振で手入れが出来ず、山も自然が度を越して藪化して荒廃し切っているのだが・・・。

森林は一次生産者と呼ばれる植物、これに依存する昆虫や鳥、獣などの二次生産者、そして一次生産者と二次生産者の遺体(枯れ木や動物の死体など)を分解する微生物(菌類、きのこ類 3日目にようやく盃型のきのこ2個を見つけた)の者の生物間相互作用によって循環のシステムを形成している。これが森林生態系と呼ばれるものであり、これらの生物が多様で豊かであればあるほど、森林そのものが持続的に様々な効用を生み続けるのである。

今回の植林地を見て、そして話しを聞いて、熱帯地域の原生林が一度伐られてしまうと如何に脆いかが理解できた。我々が植えたフタバガキが大きく育ち、花が咲き、蝶を呼び、鳥を招き、土中の小動物が這いずり回って森林土壌を耕し、獣達が生き生きと駆け回る原生の熱帯林が再生するのに、どれ程の年月がかかるのだろうか? その時、私はまた、この地に立つことが出来るのだろうか?

    
最終日に見つけた盃型のキノコ    野獣?の糞。SAFODAの職員が連れて来た   マングローブの種とウツボカズラ
ここにお酒を注いでクィッ〜と・・・     飼い犬がしたのかも知れない       これらが見つかれば再生の夢がひろがる
毒キノコだったりして・・・

<バスの車窓から>につづく